地球の健康は、私たちの健康

今こそ、人間の役割を再認識して

 
長崎大学 プラネタリーヘルス学環 教授
Chiho Watanabe
渡辺 知保 先生

PROFILE
熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授。保健学博⼠。東京⼤学名誉教授。専⾨は⼈類⽣態学。環境条件や遺伝的性質による化学物質の毒性修飾など、⼈間集団と環境、持続可能性と健康との関係について、環境保健・毒性学という切り⼝からフィールドとラボの両⽅で研究。

私たちの健康状態を大きく左右する“地球の健康”。動物、植物、空気、水、すべてが私たちの心身を満たし、守り、養ってくれている一方で、人間活動は自然界のタペストリーを壊し、温暖化を進行させ、それによって地球は人類を含む多くの生き物にとっての安全な活動空間から外れていってしまっています。地球と人間が相互に影響しあっていることはいうまでもなく、自然界が栄えれば、私たちも栄え、自然界が苦しむときは、私たちも苦しむ──。その関係性を科学的なアプローチで実証し、地球の健康を支え続けるために有効な解決策を探求しながら人々の意識や行動変容を促す「プラネタリーヘルス」の取り組みが、今世界に広がっています。プラネタリーヘルスを推進する長崎大学大学院 プラネタリーヘルス学環の渡辺知保教授が見つめる未来とは。

──地球の健康と人間の健康の関係を表す身近な例としてはどんなことがありますか。

今の「地球温暖化」というのは、ある種一番イメージがしやすいのではないかと思います。皆がたくさんエネルギーを使うようになり、それが今や社会経済の成り立ちとなり、温室効果ガスの増加を主な原因として地球温暖化が引き起こされ、近年の急激な気候変動につながっています。猛烈な熱波が襲ってきたり、豪雨が降ったり、洪水が起こるなど極端な現象が発生し、災害による被害、暑さによる熱中症、感染症の蔓延などさまざまな形で人間に跳ね返ってきています。

──私たちの日常に多くの影響がすでに出ている中、子どもたちの健康においてどのようなことを危惧していますか。

子どものメンタルヘルスや発達に大きな影響が出てくるのではないかという論文がヨーロッパを中心に多く出ており、私個人としても非常に懸念している点です。「命に関わる暑さ」などと猛暑の警報が報道されるようになり、親も教育機関も子どもたちを外で簡単に遊ばせられなくなってきます。それがさらに何カ月にも及ぶという状況になってきていて、これまで夏は6月から8月だと概念的な区別をしていましたが、今はもう5月になると非常に暑い日があり、残暑も9月や10月まで延びてきています。厳しい暑さ、あるいは激しい雨風に一年の3分の1が見舞われ、外に出て遊べなくなる。外は子どもにとっては友達と出会う場であり、開放感のある場所で駆け回りじゃれ合うことは重要なことです。今後、こうした機会が失われていくことのインパクトは大きく深刻な問題です。

──世界的にみると気候変動問題と子どもたちのメンタルヘルスの関係は大きな課題として捉えられているのですね。

危機感が高まっていると感じます。地球環境研究・サステナビリティ科学の国際的研究プラットフォーム「Future Earth」が発表している「10 New Insights in Climate Science」では、気候変動にかかわるその年の知見で注目すべき10分野を取り上げて紹介しており、2022年版では「気候変動と健康の相互作用がもたらす新たな脅威」としてメンタルヘルスが取り上げられました。

──地球環境へのリスペクトや思いやりを育み、それを守ろうと思う人材を育成していく上でも、自然とつながる経験ってすごく大切だと思います。

まさにそのとおりです。自然とつながる体験というのを特に子どものころにすることが、将来いろんなことを考え、自らアクションを起こしていく上で重要になってきます。自然はチャレンジングな部分が常にありますが、そこから受ける刺激や成長に欠かせない体験を推奨するわけにもいかないような状況になってきていて、人間と自然が離れていってしまうと、子どもたちの将来の展開に制約がかかってしまうのではないかと心配しています。

──昨今、1.5度の目標をはるかに超え2.5度に達するだろうと予測する科学者も多くいます。状況を変えていくためには、どうしたら良いのでしょうか。

2.5度になってしまうからもうダメだと絶望するのではなく、常に下げる方向に努力していくことが重要です。一番のポイントとしては、やはり原因を作り出しているのは我々なので、緩和策を強く進めれば地球全体の環境に反映され、いつしか温暖化は止まるはず。ただ、地球という大きなシステムでは、行動したことがすぐに効果として表れるわけではないということをわかって行動し続けなければいけません。例えば、コロナ禍のロックダウンによって世界中の経済活動が止まり、結果として二酸化炭素の排出量が一時的に落ちました。それでも、大気中の二酸化炭素濃度には響いてきませんでした。だからといって効果がないわけではなくて、持続的に減らせば気温が下がってくるということは専門家によるシミュレーションで示されています。

転がる大きなボールがすぐには止まらないように、今は地球の慣性と人間社会の慣性を変えていく勝負のときです。一人が変わったくらいでは私たちの大きな社会は変わらず、今までうまくいっていた方法を頼りにして進んでいってしまう部分がありますが、我々が動かないと、地球の方も動いてくれません。すぐには効果が表れないことだとわかった上で努力するしかないでしょう。

出典:科学技術振興機構.”サイエンスクリップ「このままでは今世紀末に2.8度上昇」とUNEP COP27前に危機感あらわに”.サイエンスポータル.2022-10-31.
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20221031_g01/(参照2024−6−6)

──現在どういった社会変革を感じていますか?

日本で特に変わったと感じるのが、企業の姿勢です。以前は短期的な利益や実績を上げて進んでいくことが一般的でしたが、非常に長い目で成長というものを考える企業が増えてきたように感じます。2022年にはTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)といって、企業が気候変動に対してどのような対策を立て、実行しているかなどの情報を開示することが上場企業に対して義務化されました。さらに自然や生物多様性のリスクや影響などを公開し、世界の金融の流れを自然の保全に向けるための枠組みであるTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)への認識も広がっています。これらは消費者や企業、行政や投資家などが企業を評価し、企業の行動変容を後押しする一つの原動力となるでしょう。

──人間と地球の健康が密接に関わっていることを前提に、行動変容へと繋げていくプラネタリーヘルスの分野では、どういった動きや広がりがありますか。

プラネタリーヘルスに関する分野横断が盛んになり、研究やカンファレンスが増えています。ここ数年で、「知識ではなくて行動だ」とアクションオリエンテッドな研究者も増えてきました。また、プラネタリーヘルスに関わるコミュニティで重視されている「システム(ズ)思考」を、みんなで共有していく動きも広がっています。マーケットや気候など、さまざまなセクターがそれぞれシステムとして動いていますが、異なる複数のシステム同士がリンクし、違う思考を持った人たちが集まり、一緒に考えることによって解決に向けた方向性が見えてくるのではないかと思います。

──プラネタリーヘルスの視点を持った取り組みとしてはどういった例があり、どんな効果があることが見えてきていますか。

プラネタリーヘルスの枠組みの中で行ったアクションの効果を、どのようにして評価していくかはまだ途上段階です。今年4月、世界的なネットワークであるプラネタリーヘルスアライアンスが行った年次総会では、地球の健康を高める行動計画を出し、そのアクションプランの一番目に挙がったのが、まさにプラネタリーヘルスの評価です。人間の社会と地球の健康の両方のバランスをみていかなければいけないため、そう簡単には解を出せるものではありませんが、例えば人間なら医師が患者を診て、診断して治療し、最終的な結果をみるという流れがあるように、診断に相当する作業をプラネタリーヘルスについて行なうための方法を皆で考えていくフェーズにいます。

<プラネタリーヘルスアライアンス年次総会 4月マレーシア>

こうした中、都市の再生プロジェクトの評価を進める動きが、世界のさまざまな場所で始まっています。例えば、ものを廃棄せず、できるだけ元に戻して循環させていくオランダの首都アムステルダムが行っているドーナツエコノミーが、最終的に人間にどのような影響を与えたか評価すること。また、元々はアボリジニの人々が暮らしていたオーストラリアのブルーマウンテンズ市では、ゴルフ場跡地を再興し、先住民族にとっては当たり前であった自然と調和した生き方を取り戻す街づくりプロジェクトも進行しています。日本においては、広島大学がプラネタリーヘルスのアクションの評価を具体的に進めていて、地域環境の評価と人間のウェルビーングの評価を同時に行っています。

──確かに評価するのは難しそうですが、全てが相互につながっていることを考えると、地球の健康をよりよくすることが、最終的に人間の健康にとっても良いと信じたいです。

そう願います。環境をよくすれば、結果は自分たちに返ってくるというのがプラネタリーヘルスの原点ですから。自分の部屋を綺麗にして、メンタルヘルスがよくなった、などというのもある意味で小さなプラネタリーヘルスです。そういう小さい行為や効果も,多くの人が実践すれば横につながって広がり、それが最終的に地球の環境にまで及んでいけば、全体としてプラネタリーヘルスの実現になります。ですが、部屋が綺麗になったからといって当然温暖化が止まるわけじゃないし、気候変動だけを見ていると2.5度まで到達してしまうかもしれない。そこで、プラネタリーヘルスを適切な大きさと適切な時間軸で評価し、行動の結果が見えるようにすれば,現実的な行動変容へとつながっていくのではないかと思います。先のアクションプランの中では、国家レベルのスケール感で評価していくことを目指していますが、まずは街のレベルでさまざまな取り組みを行い、街にとってどんな良い効果があり、人々の健康がよくなったかを示すことも大事なのではないかと考えています。

──今、どういった思考の転換が必要だと感じていますか?

思考の転換としては、企業活動や研究活動、日常生活の中の“当たり前”を少し疑ってみて、地球にどんな影響を与えているのかを考えてみるということがきっかけになるのでは。例えば、夜になれば電気が点くし、地球の裏側の人と会議ができるし、コンビニでは24時間買い物もできます。我々の生活はこういったことが当たり前という上に成り立っている。一方で、人工的な光によって,日本人口の7割は天の川を見ることができず、動物の行動にも影響を与えているという研究結果がある。途上国の農村地帯では、日没とともに眠りにつく生活を営んでいる人たちもいる。単純にこれらの生活のどれがいいとか悪いとか論じるのではなく、地球というステージの上で,さまざまな生態のバランスが保たれながら暮らしている中で、それぞれが“当然”と思っていることの意味を考えてみる必要があるのではないかと思います。

出典:© 2024 American Association for the Advancement of Science.”The new world atlas of artificial night sky brightness”. ScienceAdvances.2016-6-10.
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.1600377(参照2024−6−6)

──最後に、さまざまな生き物が影響し合うこの世界で、人間の役割というのを定義するとしたら何だと思いますか。

一つは、惹き起こしてしまった気候変動や生物多様性の危機を、元に戻すというのが大きな役割だと思います。人間が惹き起こした問題を、人間が戻す。そしてもう一つ、人間の長期的な役割は、“他の生き物との共存”という方向に自分たちを変えていくことなのではないでしょうか。地球の生態系の中で、人間は哺乳類という動物の一種です。ですが、今は人間が独裁者のような状態、いわば人間王国になってしまった弊害が地球の危機として現れています。人間社会で育んできた感性をもっと広い世界に向けて活用していっても良いのではないでしょうか。自分たちが動物共和国の一員という側面を、いつの間にか忘れているような気がしています。

Interview & Text: Mina Oba