「気候危機は健康危機」
子どもたちの心身に迫る、身近な問題

 
東京大学大学院 医学系研究科 国際保健政策学 教授
Masahiro Hashizume
橋爪 真弘 先生

PROFILE
専門は気候変動疫学。医師、医学者。気候変動のグローバルな健康影響と適応策について研究。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第2作業部会第10章「アジア」にて、主執筆者としてアジアにおける健康影響について執筆。
環境省「気候変動の影響に関するワーキンググループ(健康分野)」座長

気候変動対策はもう待っていられない。今生きている我々が、今すぐ次世代のためになんとかしなくてはいけない。未来は変えられるということを明確に意識して、二酸化炭素の排出量を減らすこと、そして被害を低減するという両輪を加速させていかなければいけないと、気候変動疫学を専門とする橋爪教授は警鐘を鳴らしている。

「気候危機は健康危機です」

世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は、折に触れ世界にこう訴えてきました。化石燃料の燃焼によって温暖化する世界で、私たちは汚染された空気を吸い、病原体を媒介する蚊はかつてないほど遠くへ飛び、さらに、熱中症によって死亡するリスクは年々上がってきています。そして気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書によれば、2030年から2050年の間に気候変動が原因で死亡する人の数は約25万人に上るという試算もあり、こうした影響を真っ先に受けるのは、子どもたちといった社会的弱者であることは明らかです。

小児科医としてキャリアをスタートし、公衆衛生学やグローバルヘルス領域の専門家としてIPCCの筆頭執筆者も務める、東京大学大学院 医学系研究科 国際保健政策学の橋爪真弘教授に、子どもから大人まで、気候変動がもたらす人体への影響について尋ねました。

──橋爪先生は20年以上公衆衛生学の分野を研究されてきました。具体的な研究内容について教えてください。

気候変動の影響を特に受ける世界中の子どもたちに、どういったことが起こりうるのかを可視化する研究を行っています。例えば、気候変動によって気温が2度、3度、4度と上がると、熱中症の患者あるいは死亡者数がどの程度増えるか、下痢症やマラリア、低栄養といった病気で亡くなる子どもの数がどう変化するかというようなことを解析し、数値として表した将来予測は大きな柱の一つです。日本ですと、東京都で1日あたり死亡した人数と当時の気温のデータ過去50年分を照らし合わせ、関連を見つけ、それを将来の気温のシナリオに当てはめます。また、気候変動の適応策の一つとして熱中症警戒アラートが近年運用されるようになり、それが熱中症の救急搬送数を減らすことにどの程度有効か、あるいはもっと効果的なものにするにはどうしたら良いかを分析し、政策につなげることも行っています。

──WHOが2014年に発行したレポートによると、有効な排出削減策を取らなかった場合のシナリオでは、2030~2050年には全世界で年間約25万人の超過死亡が発生すると推定され、そのうち熱中症等の熱関連死亡が約3万8,000人程度いると予測しています。この数字について専門家としてどう捉えていますか。

年間約25万人という数字の中で、低栄養が9万5,000人、マラリアが6万人、下痢症が4万8,000人、熱中症等の熱関連死亡が3万8,000人ということになっていますが、この25万人という数字は過小評価していのではないかと思っています。やはり気温との関連が分かりやすい疾患をピックアップして数値化しているので、経済や農業などいろんな分野による間接的な影響の全てを捉えきれていない可能性は十分にあると思っています。また、2030~2050年の比較対象が1961〜1990年と古く、発表時から10年も経過しているため、推計方法が精緻化されてきた現在、この数字をアップデートし最新の情報に変えていく必要性があると考えています。

──気候変動による健康被害として、今すでにどういったことが起きているのでしょうか?

身近な例としてわかりやすいのは、やはり熱中症だと思います。2023年の夏は記録的な熱中症の救急搬送数となりました。すべてが気候変動によるものだというわけではなくとも、今後、気温が上昇していくということは疑いの余地がないわけですし、熱中症患者の数が増えることは容易に想像できます。そしておそらく、実は熱中症と診断されている人以外にも、暑さによって体調が悪くなり救急搬送され、ひどい場合は死に至ってしまうケースはもっと多いはずです。例えば、心臓病や呼吸器疾患と診断されて亡くなった方の中にも、暑さがきっかけで持病が悪化して亡くなる方もいます。暑くなることで汗をかき、体内の水分量が減ると心臓が体中に血液を回そうと働くため負荷がかかります。実際に数字として出てこない暑さによる疾患、死亡ということも、非常に大きな問題だと思います。

また、感染症のリスクが上がっているという危機意識はまだまだ日本では低い。2014年に国内でデング熱の流行がありましたが、ヒトスジシマカの媒介蚊の生息域は気温上昇とともに広域になり、デング熱が流行する潜在的なリスクのある地域が広がってくる可能性があります。

──子どもたちの健康影響について、先生はどういったことを危惧していますか。

熱波や猛暑にさらされる頻度は今よりも多くなるため、10年後、20年後に生まれてくる子どもたちがおかれる環境がどうなっていくのか想像力を働かせ、今のうちから対策をとることが大事になってきます。暑さによって子どもの熱中症のリスクが上がるということ以外にも、花粉症やアレルギー性疾患の季節性が変わってくる可能性があると言われています。気温が上がるとスギやヒノキの花粉の飛散時期が前倒しで起こり、飛散時期が長くなるかも知れません。すでに日本では花粉症が国民病と言われているように、その健康負荷は子どもから大人まで見過ごせない点だと考えています。

また世界では、年間60万人がマラリアで亡くなり、下痢症で150万人がすでに命を落としています。特にアフリカや南アジアの地域では、気候変動がそれにプラスアルファする形で疾患のリスクが高くなると予想されています。

──メンタルヘルスへの影響も大きいのではないでしょうか。

極端な例で言いますと、気温が上がると自殺者数が増えるというのは疫学研究でも数値として出ています。そのメカニズムはまだよくわかっていませんが、例えば熱帯夜の頻度が今後増えると、蒸し暑くて睡眠不足になり、どうしても疲れやすくなります。元々少しメンタルの不調がある人は、それによってうつ状態が悪化する可能性は仮説の一つとして挙げられるかと思います。

これに対し、エアコンは暑さをしのぐ面では非常に有効です。昼も夜もエアコンが手放せなくなると、電力消費量が上がり、発電のための温室効果ガスの排出量も増えてきてしまうので、発電を全くのカーボンフリーにするなど、そういったことも考えなくてはいけません。

──暑さで外に出られなくなることで、子どもたちが自然に触れる機会が減ってしまうことは、心身の発育に大きな影響を与えると危惧しています。

そうなのですよね。現在、教育現場では湿度や気温、熱環境を取り入れた指標の暑さ指数を目安に、校庭や園庭で遊ぶことを制限する動きがあります。このまま気温が上がっていくと、夏場は体育やプールなどができず、屋外に全然出られないような事態になってしまいかねません。教育の専門家ではないので具体的な案はわからないのですが、「気温が何度以上になったら一律にやめましょう」となると、この先屋外活動がどんどん限られることになってしまいます。そういった基準というのが果たして妥当なのかどうかを、常に検証し続ける必要があると思います。

また、熱中症警戒アラートは、全国一律で暑さ指数が33度以上になると都道府県別に発信されています。これについても、北海道と沖縄では同じ33度でもリスクが異なり、各地域で至適な(最適な)閾値というものがあるはずです。そういったことも考慮しながら、効果的な情報発信の方法を考え、改善していく必要があると思います。

──気候変動問題が喫緊の課題である今、国内ではどんな変化が必要だと感じていますか。

医療従事者が「気候危機は健康危機だ」というイニシアチブをとってアクションを起こしていくことも必要です。意外と、気候変動に対する医療従事者の意識が日本ではあまり高くありません。他方、気候危機が健康危機であるという意識はヨーロッパでは非常に強く、医療従事者が社会をリードして気候変動対策を進めています。温室効果ガスを正味ゼロにしていくことは日本全体の目標であり、医療分野もその例外ではないのです。医療従事者が明確な意識を持って、患者あるいは社会に訴えていくということは非常に重要なこと。子どもの健康においては、学校医といった立場も利用して教育現場に知識を普及していくという役割も担うことができるのではないかなと思います。

──医療従事者による気候変動に対するアクションとしては、海外では具体的にどういった動きがあるのでしょうか。

例えばイギリスの国民保健サービス(NHS)は、医療分野からの排出を2040年までにゼロにしましょうという具体的な目標を掲げて、そのためのロードマップが作られています。自分たちのお膝元である医療分野でゼロを達成する取り組みを行った上で、COPなどの国際的な会合で、政府やNPO、国連機関などを巻き込み、「気候危機は死に直結している健康危機だから、気候変動を今すぐに止めないといけない」と、非常にわかりやすい形で訴えています。グローバルな世論を喚起し、医療保険以外の分野の政策にも影響を及ぼしています。

──今後、どういった動きが加速することに期待していますか。

やはり社会全体が一丸となって、緩和策(排出削減)と適応策の二つの視点を持って取り組んでいくことが大切だと感じます。排出削減策としては、節電など一人ひとりができることは非常に小さいことですが、こうした意識が個々の根底にあることでカーボンニュートラルを進めていくような国レベルでの産業政策につながっていきます。また、適応策としては、この先数十年、程度の違いはあれど気温が上昇することは避けられないので、私たち研究者がわかりやすい数字を出し、近い将来にどういった健康影響が出てくるのかを想像しやすくし、皆で気温上昇の被害の影響を受けないようにする対策が大事になります。マスメディアの力を借りて、正しい知識を広く社会に知ってもらいたいです。

今生きている我々が、今すぐに次世代のためになんとかしなくてはいけません。私たちの日々の行動と選択次第で、未来の状況というのは非常に変わってきます。その選択も、基本的には私たち一人ひとり意識の積み重ねです。気候変動への対策と緩和は、10年、20年ともう待っていられません。なので、未来は変えられるということを私たち自身が明確に意識して、二酸化炭素の排出量を減らすこと、そして被害を低減するという両輪を加速させていかなければなりません。

Interview & Text: Mina Oba